ビジネスの失敗を人生の教訓へ

失敗談をここに綴ろう。

たとえば,なにか事業を始めるとしよう。わたしの場合はケニアでの農業関連の事業であり,現地滞在時から制度設計と人員選考などを精力的に行っていたつもりだ。

そして資金を必死にためてプロジェクトを正式に事業として立ち上げるとする。わたしの場合は帰国後すぐにケニア本国で登記を行なって,研究者と管理者を雇い,調査・研究さらには案件化を進め,プロトタイプを完成させた。

さらに外部からの資金調達を行うとする。たとえば初期の資本額が10万米ドルだとしよう。その後に外部から「200万米ドル出資する」というエンジェル投資家があらわれる。これは事業が素晴らしければ素晴らしいだけ寄ってくる。

おおくの創業者は舞い上がって「イエス」と返事をする。しかし増資をしたとき,すでにその事業の持分のほとんどはその投資家に流れる。もし創業者の持分が3分の1を下回っていれば,否決権すらない。

わたしの場合,ここで大きな失敗を犯した。

資金調達は計画に沿って行うべきでものだ。と同時に,どんな社会問題を解決しようとしているのか,そのためにこの事業はどんな役割を果たすのか,これを「どこかから出てきた資金に乗っかって」できるものではない,と確実に認識しておくことが重要だ。

まして「わたしだからできること」を「誰かの資金をつかって」実行するのは難しい。この「誰かの資金をつかって」というのは,その資金の使い道をだれが最終的に決定でき,事業の舵取りを行えるのか,ということだ。それが「わたし」でない限り「わたしだからできること」は達成されない。

実はこのような事態を,わたしは2度経験している。どちらもケニアでの事業であるが,一つは非営利活動(つまりビジネスでない)であって,もう一つは社会起業だ。

前者は相手が土俵にこない不戦勝(元所属先との事業持分の件だが,相手は匙を投げた)となり,後者は,完全にわたしの負けだ。

この失敗談をかく(しかもここに)というのは,単なるメモ書きではない。おおくの案件でこの失敗を活かせると考えている。株式やシェアの件だと小難しく聞こえるが,要はこうだ。「誰が何を決められるのか」ということの重要性だ。

これは2名以上の関係性においては,どんな形態を取っていても発生しうる問題であるし,目に見えにくい問題だ。

だからこそ,考えておくべき事柄なのだろうと,,,うまい酒を飲みながら語ろう。

しらいし