新世界への道筋

2020年の初頭に起こった新型コロナ肺炎の感染拡大は、歴史に残るであろう。地球のほとんどの陸地で感染が確認され、その地の代表者によって緊急事態であると宣言された。

 

地球におけるここ最近の出来事のうち、このコロナは特別である。それは、これまでの人間による活動によってますます深刻になるためである。

21世期に入ってから地球は狭くなり、近くなった。土地から土地への移動は容易になり、文化や思想に関しての交流が活発化した。この背景にはグローバル化と情報化とがある。

 

ー経済危機とコロナー

 

これまでの経済危機は、その世界中のシステムのうちひとつの綻びから、システムが不全に陥ったことが原因であった。その復興のためには、システムの補修と改善が行われてきた。

翻って今回のコロナでは、システム全体が原因となりシステム全体が不全に陥った。ひとが行き来することで感染が拡大され、情報が行き来することでひとびとの不安を煽った。

結果として、国家を超えるひとの移動は制限され、さらには国家のうちにおいても著しく移動が制限された。さらにひとびとのうちに不安がたまり秩序が乱れた。

力強く「このままでいいのか」と語りかけられた。これまでの経済発展が正しかったのかと我々は省みなければならない。

 

ー広がった言論ー

 

その渦中、知識人が新世界についても秩序を議論し始めている。忘れてはならないのは、これらは少なくとも10年前から語られてきたものであるという点である。テレワークにしろ、ハンコの廃止にしろ、全く新しいものではない。むしろこれを機に変革が起こらなければ、今後の進展はない。

コロナの感染拡大を完全に予測した人類はいないにしろ、このような事案が発生することがある程度予測できた。わたしが専門であった国際保健の場においても、感染症の世界的な感染爆発のリスクは長らく議論されたにも関わらず、国家はその必要性を感じず投資を怠った。

 

ー教訓ー

 

ここ数ヶ月でまざまざと理解させられたのは、ヒトの本質と必要至急なモノの存在であろう。

こうも人間は2ヶ月ほど外出を自粛すると心が廃れ、不安になるものかと感じた。どれだけ一人では何もできず、みえぬ敵に対して無力であるか、ヒトによって組織された社会はこうも、か弱く不完全であるか。

欲にまみれた社会においては、不要不急のモノがビジネス化され、小金持ち生まれていた。ここ2ヶ月で、必要至急と思われるモノをまざまざと認知させられた。

さらに、その必要至急と思われるモノがいつしか社会の端に寄せられて感謝されないモノになってしまっていたという感覚を我々は認知したと思う。

 

ー正しい世界の創造ー

 

「ひとの欲望」について書き示したい。ヒトとしての欲望は(さまざまな議論があろうが)、おおよそ「生きる」ということであろう。ここ2ヶ月で我々は本当の意味での「生きる」ということを考えさせられたと思う。

死に至らしめる見えぬウイルスが空中を漂い、ひとの死についての報道が続いた。「死」を身近に感じつつ、「生きた」2ヶ月で、今後も続いていく。

 

では我々が「生きる」ために必要なものは果たしてなんだろうか。それを真剣に思考することこそ、正しい世界の創造のためには、必要至急であろう。

 

しらいし