耳に水を入れよ
耳に水が入ると人体は危機と察知して、飛び起きるらしい。
そうそうそんな状態に陥ることはない。「耳に水が入る」という行為は我々が日常生活のうちに意識せずに避けていることであり、わざわざ入れる必要性もない。
しかし、どうやっても起きない相手を飛び起きさせる術としては有効だ。(気の合う友人だけにしておこう)
物事の過ちの多くは一個人によってなされるものではない。我々が日常生活のうちに意識せず行動することによって、引き起こされる。
ある会議で「個々の取引は合理性を持って判断されているが、全体として大きく間違っている」と言及したところ、次回からその会議に呼ばれることはなかった。
カールマルクス(ドイツの哲学者 1818-1883)は世界的名著「資本論」にて「現在の社会経済はそれぞれの活動は正しいが全体として間違っている」と主張した。
我々が日常でする意思決定は「これで良い」と考えついたときに行われる。(意図がない限り)わざわざ間違った意思決定をしない。我々は意図せずに過ちを避けて生きている。
これまで文章として示してきたが、つまるところの「ひとの幸福」には実は多様性はない。「イキイキと生きたい」という結論になるだろう。そのための意思決定を日常で行う。
ではなぜ、地球にはこうも「イキイキと生きられない」人類が多くいるのだろうか。まさに全体として間違っていることが多いからであろう。
フリードリヒ・ニーチェ(プロイセンの哲学者 1844-1900 )は「強き者が弱きを喰らう」が真理であるとした。道徳心は人間の弱さであるとして、「神は死んだ」と述べた。もうすでに神の役割は終わっているという意図である。
これこそが人間の本性であると思う。まさに全体、根源的に過ちを犯しているのかもしれない。
耳に水を入れよう。
しらいし