「社会」とはなにか。「メディア」を越えて

「社会」について考えると頭がいたくなる。なぜなら、わたしがそこにいて、それが変わっていくからである。空気をつかみ、空気を味わうことは非常に困難である。

「社会」とはなにか。人間であろうか。人ひとりでは「社会」とは呼ばない、それは科学の領域である。

「社会」とは石を投げてあたるものではない。つまり、人と人のあいだにある「関係の学問」である。

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人は人をどのように理解するであろうか。

ぜひ考えてみてほしい。なにが人を決定付け、なにをもって「こういう人だ」と認知するのであろうか。

ある一定の数をこえると、分類わけをして、あるものを端に寄せ、あるものを縁に置き、あるものを日光のもとにさらす。それが70億個をきれいに理解して、検討する最善な案である。


ではなにがそれを分類して、ラベルを張って埃っぽい地下室に保管するのか、ラベルには何を書いて、もし「地下室にあるあれはなにか」を聞かれたらどのようなものであると返答するか。

メディアである。遠く離れた地のもの、権威づいて人が近づけない地のものを、人を代表して見に行き、「あそこはこうだった」と広く公表するのが、メディアである。

我々は見えないなにかを、また理解しがたいなにかを理解するとき、どうするのだろうか。

個別の社会構築は、各々がおこなう。それに影響しうるのがメディアである。

人々はそれらを見たいように見て、聞きたいように聞く、理解したいように理解するのだ。

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しらいし