「芸術」について

この文章は前回のポストにメンバーの方から「日本における芸術に対する姿勢とそれに対する考え」というテーマをいただき、それに呼応してさまざまな角度から検討したものである。

 

いただいた一連のテーマを大きく3つに分けた。「そもそも芸術とはなんなのか」「文化産業っていまどうなっているのか」「日本における芸術のありよう」とした。(こんな感じでいいですか?)

 

実に芸術について書くのは難しい。筆者自身も数年前に若手アーティストを集め、日本(東京)にて企画展を開催した。その運営は困難で、あらゆる障壁にぶつかったのを覚えている。それは自身の彼らの作品への理解が足りない点(「理解」というと怒られた。「私の芸術は理解されるようなものではない」と。)、アート産業への不勉強が主な要因だろうが、やはり芸術というものは難しいという変えられない事実をあっただろうと振り返る。

 

しかし、舞台芸術を観たときの「ジーンとして動けなくなる感覚」や、浮世絵から感じる「描かれた場の空気や香り、音が迫ってくる感覚」は人生においてなにか重要なんだろうと思えた。

 

しかし「じゃあなにか」と問われると答えることができなかった。事実、一般的な定義はないだろう。が、その思考に身をゆだねることが芸術への理解を深めると信じて疑わない。またこのような機会を与えてくれるチームというものの意義はこのようなものだろう。重ねて感謝したい。

 

やはり最初にみるべきは辞書だ。「芸術」を調べてみると下記のように定義されている。

 

「一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある」(広辞苑

 

「特殊な素材・手段・形式により,技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動,およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術,音楽・文学などの時間芸術,演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる」(大辞林

 

こりゃ難しい。

いろいろと削ぎ落すと、

 

「材料と技術、身体を使う人間の活動」

「なにかの美を表現・創出するもの」

 

だろうか。

 

このようなチームとして持つべき、定義をもってして次なるポストをご覧いただきたい。

 

 

かの有名なドイツの哲学者フリードニヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)の議論はギリシア悲劇(特に演劇における音楽)から始まっている。彼の著書「悲劇の誕生」(1872年)は、ギリシア悲劇を通して現代の文化を批判している(批判の内容には触れない)。

 

ギリシア悲劇こそ至高であると主張している。彼にとって芸術とはギリシア悲劇のようなものであって、それは「アポロ的」と「ディオニュソス的」なものの融合であるとしている。

 

すなわちこの2つが二重性を持ちながら、絡まりあい悲劇の誕生がなされたとした。

 

ではそれぞれの意味とは何か。噛砕いてみたい。

 

まずアポロはギリシア神話に登場する「予言の神」「夢の神」である。一方ディオニュソスは同じくギリシア神話の「陶酔の神」である。

 

ディオニュソス的なものは、「戦慄的恐怖」と「歓喜あふれる恍惚」という二つの感情が同時に生じることにおいて成立する。どちらの感情も、芸術体験が我々の日常的な世界観を打ちこわすことで生じる。戦慄的恐怖は、原理(時空が歪んだりする)が成り立たないことから生まれる。歓喜あふれる恍惚は、個体化の原理、つまりは、自己と他者は別の存在であるという原理が成り立たないことから生まれる。

このような状態を、ニーチェギリシア神話における陶酔の神ディオニュソスになぞらえて位置づけるのである。

 

アポロ的なものは、芸術が真実を完全なかたちで示すことにおいて成立する。ギリシア神話の太陽神アポロは、芸術、夢、予言などを司る。ニーチェはこれらのあいだに関連性を見てとる。常識的には、夢の内容は虚偽であり、現実においてこそ真理は明らかになるはずである。しかし、ときにこの優劣関係は逆転する。夢のなかで神の予言が告げられて、現実では部分的にしかわからないような真理を余すところなく明らかにしてしまうのである。これと同じことが芸術に関しても成立する。芸術の内容はフィクションであるから基本的には虚偽である。しかし、芸術はそうであるにもかかわらず、いや、そうだからこそ、人生の真理を完全なかたちで表現することができる。ここまで完全に真実を示すことは、ノンフィクションでは逆に不可能なのである。

 

「原理が破綻しつつ真理を明らかにする」表現物こそ芸術であろうとニーチェは結論づけた。

 

確かに「なにか恐いんだけど馴染み深い」とおもえる絵画を見たことがあるし、「時空が歪み観覧席に一体感がありつつ、舞台と私個人が繋がり徹底的に個人的な感覚」に陥った舞台芸術を観たことがある。

 

あれが芸術の味わいだったのだろうか。

 

 

つぎに考えていきたいのは文化産業についてだ。芸術はさきほどの考えから、「真実を我々に示してくれるもの」である。であれば、広く一般に公開されるべきものであるし、現におおくの国家では芸術品を取り扱う産業は保護され、国家として作品やその活動を支援したりする。

 

フランクフルト学派の啓蒙批判では、文化・芸術は啓蒙されて野蛮に陥った。

単純に考えれば、中世のように一部の特権階級のみが文化や芸術に親しみ、一般大衆はそこから排除されていた時代は野蛮であり、現代のように誰にでも文化や芸術が開かれている時代は啓蒙され文明的である。しかし、そうはならない。

 

一般大衆に文化や芸術が届くようになったということは、文化や芸術が産業になったということである。このとき、それらの価値もまた金によって測られるだけのものになってしまう。かつては、作品は批判(批評)によってその価値を判定されていたが、いまや値段がいくらかという関心から鑑定されるだけになってしまった。また、かつて創作者は尊敬の対象であったが、いまや単なる有名人として崇拝され消費されるだけになってしまった。

 

筆者の意見(ここから)

 

では、ニーチェのいうような芸術はどうなったのか。野蛮になった芸術はどうなるのか。

すこし現代に時を進めてみたい。

 

現代人の芸術性(味わうチカラ)が低下したとは思えない。「大衆をぬるま湯につけるような芸術」が単にもてはやされ、産業化したに過ぎない。さらに社会は進んで、情報化やグローバル化によって、今では「大衆をぬるま湯につけるような芸術」が売れたりしなくなるだろう。なぜならいま社会全体が絶望したり、孤独になったりすると、ひとびとは「内面をみつめよう」としている。

哲学者のおおくは「人間は自己認識を試みる」というが、その答えがニーチェのいうような芸術にはあるだろう。

 

これからの新しい文化を創造するためには、あらゆる文化を理解して、衝突して、融合させていくべきであろう。しかしその結果を「後世にのこす」ためには産業で「売れる」というのが重要になる。

 

では、次に日本における芸術の捉え方を見てみたい。

 

(ここまで)

 

芸術は、世の中の矛盾(ディオニュソス的)を表現しつつ、悩める現代人に一筋の答えを与える(アポロ的)ような表現物である。それらが大衆に広がることで、その意味での芸術ではなく「いい気分にさせるだけの芸術」がもてはやされてきた。しかし悩める現代人にとっての答えが芸術にあるかもしれない。では、日本においては芸術をどのように捉えているのだろうか。本ポストでは客観的なデータを提供するに留め、メンバー各位が「芸術をこのように捉えている」と定性的な意見を表明することで、よりよい議論に発展するだろうと信じている。ぜひ、メンバー各位は「芸術ってなんだろう?」と考えて、コメントくださればたいへんに嬉しい。

 

以下のデータは「『平成26年文化に関する世論調査』, 内閣府」から引用している。

 

1)文化芸術の直接鑑賞経験

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この1年間で文化・芸術を直接鑑賞した経験があるか聞くと、約4割が「鑑賞したものがない」と答え、約6割が「鑑賞したことがある」と答えた。

「鑑賞したことがある」と答えたもののうち約25%が「映画(アニメを除く)」、約20%が「音楽(オペラ、オーケストラなど)」であり、以下「美術(18%、絵画、書など)」、「歴史的な建物や遺跡(15%)」と続いた。

 

鑑賞しなかった理由は、時間がなかなかとれないから」と答えたものが46%と最も高く「関心がないから(28%)」が続いた。

 

2)文化・芸術活動の経験

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この1年間で自身で作品を創作、もしくは習ったり、あるいはボランティアとしてこれらの活動を支援するなど、文化芸術に関わる鑑賞以外の活動を行ったことがあるか聞くと、「活動したことがある」が約3割で、「特に行ったことはない」が約7割を占めた。

「活動したことがある」と答えたもののうち約3割が「地域の芸能、祭りなどへの参加」であり、「文化的な習い事の受講」が約2割、以下「作品の創作(16%)」、「子どもの支援(11%)」と続いた。

 

3)児童生徒への文化芸術体験

 

子どもの文化芸術体験で何が重要だと思うか聞くと「学校における公演などの鑑賞体験を充実させる」が約6割、以下「ホール・劇場や美術館・博物館など地域の文化施設における,子ども向けの鑑賞機会や学習機会を充実させる(42%)」、「地域の祭りなど,地域に密着した伝統的な文化体験の機会をより多く提供する(41%)」「学校における演劇などの創作体験を充実させる(40%)」と続いた(複数回答)

 

情報のソースは「『文化に関する世論調査』、内閣府、平成26年」である。ぜひ公開されたデータを閲覧いただき、ご意見いただければたいへん嬉しい。