人生における「死」の受け入れかたvol 1

ぜひ,頼って欲しいと思い,この文章を書こうと思います。わたしがそうであるとかそういうことではなく,いわゆる「自殺志願者」が多いいまの社会,結局のところそれを救うことができるのは「人間」しかいないわけですから。

 

いまさらになって,記事をはって,読めなんて言いません,が,座間市のアパートで9人の遺体が見つかったという事件。それに伴い議論される,諸問題について,少しアカデミック,そして実体験を基に,シンプルに書いてみます。

 

まずひとこと,容疑者がどのような動機があって,犯行におよんだなのか。などは今後の法の裁きのなかで明らかになっていくはずですので,ノーコメントで。わたしがこの事件からは筋がズレて,書くのは,「なぜ自殺を考えるのか」「彼らにとってSNSとはなにか」この2点に絞ります。

 

ひとはなぜ自殺を考えるのか。

「死ぬ瞬間 死とその過程について」(エリザベスキューブラー・ロス)によれば,死を受け入れる過程には5つの段階があります。

(*この本では,不治の病で余命宣告を受けた方々を対象に介入・検証されていますが,「死の受容」という観点から「自殺」に当てはめています。)

 

死の受容,5つの段階

①否認と孤独

不安と恐怖から,それを受け入れない段階。自己防衛。ひとりで抱え込み孤独になる段階。時間が経ち1部を受容することで次の段階へ。

 

②怒り

「なぜ自分なのか」という思いから,怒り,他者からの助言を受け入れない段階。継続的な他者からの’あい’によって理解しておさまり,次の段階へ。

 

③取り引き

「避けられない現実」を先延ばしが可能がどうか交渉する段階。時間とともに運命を変えることができないと悟り,次の段階へ。

 

抑鬱

喪失感へ。そして心の準備をはじめる段階。他者は黙ってそばにいてあげるのが好ましい。時間が経つとともに,次の段階へ。

 

⑤受容

「避けられない現実」を受け入れる段階。

 

以上です。

「死への恐れ」は以下の3つの感情から構成されるとされています。

「絶望感」「無力感」「孤独感」

そしてこの本ではこのような結論になっています。「死とは死の過程終了の瞬間である」と。

 

===

 

少し「自殺」に話を変えます。

世界では1日に1.9万人が自殺(日本では687名)だと言います。(出典 WHO及び厚生労働省ほか)自ら「死」受け入れ,実際に行動に移す。そう判断をするのが毎日これだけいる,という事実です。

少し考えましたが,自殺を思いたつのは「死への恐れ」より「生きる恐れ」が勝ったときにです。つまり「生きているなら死んだほうが良い」と。

 

死への恐れ<生きる恐れ

 

先ほど行った「死への恐れ」を構成する3つの要素

「絶望感」「無力感」「孤独感」

 

これがいまの社会にどれだけ浮かんで,われわれが受け取っているのでしょうか。

 

「絶望感」

希望がない状態。極限状態で起こりやすい。辛い経験をもとに発生することも。社会からの孤独,世界から見捨てられ社会的に捨てられたと考える状態。ある程度の性格が影響され「完璧」を求める人は陥りやすい。

 

「無力感」

自分には何もできないとわかったときの,虚脱した状態。他者との比較によって成り立つ。努力を重ねても何も報われない,何をしても無意味だと感じる状態。

 

「孤独感」ここでは孤独を総称。疎外,隔離を含む意味合いで用いる

自己否定からくる。自分はたったひとりであり,誰からも受け入れられず理解されないと感じる状態。実際にそうでなくても当人がそう感じれば成り立つ。

 

これまで。

それなりに受け取っていますよね。

いまの社会「希望がなく,誰にも評価されず,誰にも理解されない。」そんな状況たくさんあると思います。

 

ただ,それを解決する(自殺の根本的な原因をなくす)方法がお分かりでしょう。結局,人間。

希望があるよ。となんども説得してあげる。無意味ではないと納得させる。ひとりじゃないと感じさせる。

自分も。もしかしたら誰かがこのブログを読んでいるかもしれませんから。

 

まずは自分に優しく。甘えてください。

そして感情を外に出してください。言葉じゃなくても,手紙や音楽,絵画なんてどうでしょう。

さらに周囲に助けを求めてください。優しい人はたくさんいます。

さらにさらに同じような経験をした人を知り合いましょう。その複雑な感情,わかってくれるはずです。

さいごは専門家へ。友人にカウンセラーの方います。電話するだけで元気が出ます。

 

以上はその感情を乗り越えるためのものではありません。その感情とうまく付き合って,生きていくためのものです。その感情とうまく付き合うことで少しずつですが,心境に変化が現れるはずです。

 

ここで問題,そう考えると,SNSってそれを行う絶好の’場’なんですよね。

すごく長くなりそうなので,次に書きます。

 

しらいし