趣意書

 世界の5人に1人が貧困の中で生活している。加えて,これまでに膨大なヒト・モノ・カネが支援を求める地域につぎ込まれているにも関わらず,その貧困がなくなっていないのは悲劇である。
 さらに翻って先進国と呼ばれる国家においても,経済的に豊かになる一方,情報化や国際化を背景として,国際的な視野をもってしても解決が困難ないくつもの難問に直面している。さらに希薄になった人間関係や夢や希望のない生活など,社会生活や精神面において,我々は混乱した社会に生きているとおもわざるを得えない。
 それらが「国際協力」を通して先進国から貧困国に積極的に導入されているのではないか,と指摘したい。現行の国際協力は「貧困地域の精神的自立を阻害しかねない制度」であり,ひいては,「先進国が彼らの生活をも制限しかねない制度」であろうとおもう。
 「物的繁栄」に加え「精神的な自立」もなした「誰も取り残さない社会」を実現するために,「平等な機会提供」と「公正な取扱」が必要であろう。
 これまで私は,アフリカ・ケニアでの生活を通して「なにが幸福か」について様々な視座からヴィジョンを考え,自らが持ちうる能力とより多くのひとびととの関わりを通じて,それを具現する実践者になってきた。「スナノミ症」の事業は国際社会で全く議論されていなかった「取り残された病」であり,まさに「取り残されたひとびと」がその苦悩を強いられていた。
 そのような経験から「平等な機会」と「公正な取扱」によって「誰も取り残さない社会」が実現されるだろうと考えたのである。 
 「平等な機会」とは,貧しい家庭に生まれたからなどという経済的,女性だから,肌が黒いからなどという社会的,または政治的な理由に関わりなく,教育,就労などの誰もが得られるべき機会の提供が確実になされることをいう。「公正な取扱」とは,前途の経済,社会,政治的な理由などから「きっとこうであろう」と一部のひとびとが不当に低く評価されたり,または高く評価されることなく,努力を努力として評価されることをいう。
 それらがなされれば,ひとびとが幸福を追求でき,生き生きと社会生活を送れるであろうと,信じて疑わない。きっとそれが「誰も取り残さない社会」であろうとも,思う。
 このような長期的な展望をヴィジョンとしてより多くの国家と民間企業,学術機関,市民社会,個人とが共有することが必要であろう。そのうえでそれぞれが真の繁栄について探求し続けることが何より大切であろう。いまの世界をみてみると,それにたいするやる気,根気,本気を欠いているのではないだろうか。
 私は,このような観点から,ヴィジョンを描き,実践できるように信念と責任感,実行力,国際的な視野を総合的に体得する。日本を背負い,世界と対峙し,そこに真の繁栄,平和,幸福に向けた力強い道を開拓するとともに,個々人の物的のみならず,精神的な自立に向けて社会起業家として,その道筋を示す政治家として,それらをつなぎ合わせる「カタリスト」として,貢献していきたい。

しらいし