「無愛想」のすゝめ。

「無愛想」のすゝめ。

ひとの悩みのうち,そのほとんどを「人間関係」が占めているらしい。職場の同僚との関係,上司,その他の友人,恋人,家族,などなど,たしかに悩みは尽きない。

なぜなら,ひとはひととの関係性のうえにたち,成り立っているからだ。ある哲学者は「そのひとを理解しようとするならば,そのひとの人間関係をみよ。」といったが,それは現代においてもあながち間違っていない。

「類は類を呼ぶ」というが似通った思想のひとびとはなぜか群れている。SNSなどの新たなコミュニケーションツールの流通で「共感」や「いいね」がバズワードになった。まさに「共感しあえる人間関係」が求められている。

と,同時に「共感しあえる人間関係」において,そのもの自体の破綻や「共感しあえない部分」においてのヒビが,ひとの悩みとなって出てくる。

そんな悩める現代人に,池田潤「無愛想のススメ 人間関係が劇的に改善する唯一の方法」を参考にして,「無愛想」を勧めたい。

まず,私には人間関係において悩みは一切ない。
ついこないだまで,会うひと会うひとに「どんなときにイライラするのか」と聞いてみた。計30名ほどに聞いてみたが,さまざまな意見をちょうだいした。

かなり抽象化すると「自分の思い描いた通りにならないとき」だろうと感じた。

少し具体的に言えば,自分が相手に求めた期待値>相手のパフォーマンス,となったとき,ひとは「不安」「不満」に感じる。逆になれば,「高揚」「感動」する。

相手のパフォーマンスは管理することはできないので,変えることができるのは,まさに「相手に求める期待値」のほうだ。いってしまえば,相手に何も期待しなければいいのだ。それが「無愛想」だ。

愛想のいいひとを思い出してほしい。ニコニコしていて一見人付き合いがうまそうに見える。その裏側には「嫌われたくない」という不安に駆られている場合がおおい。つまり,自分の評価を「自分以外の誰か」に求めていて,「相手のことを考えているようで,自分のことを考えている」という状況になる。つまりニコニコしているのは「他人にいい評価をしてほしいがために愛想をよくしている」だけの人ということになる。だから,「やりたいことができない」「自信がない」「我慢しちゃう」「叱れない」ということになる。

いっぽう,オススメしたい「無愛想」は,自分の評価を「自分自身」に求めることだ。簡単にいえば,自分基準で好きなように生きて,自分以外の誰かからの評価に執着しない,ということになる。

人間関係の悩みのタネは,こうだ。「自分らしくいたら,他人からの評価が下がるという環境/思想にいるからだ」まずもってその根本的な自己認識を改善することが必要だ。

いま人間関係に悩んでいるのであれば,実はいいチャンスだ。「お人好し」をやめられるからだ。

ひとに嫌われないためにはどうすれば良いか,と考え,行動するのをやめる。無理な愛想笑いをやめ,自分を愛し,自分以外の誰かからの評価を求めず,さらには評価すらされなくても構わないと思うことだ。まずは自分を愛すことがから始めよう。

現実を変化させるためには,まずは自己認識を変えなければいけない。

まず気づいてほしいのは,「自分以外の誰かに嫌われるより,自分の気持ちを無視して蔑ろにしているほうが怖い」ということ。

次に気づいてほしいのは,「予測した最大の恐怖や不安は,たいてい現実には起こらない」ということ。

さらに気づいてほしいのは,「相手が交友するひとを選ぶのは,相手であって,自分ではない」ということ。

悩みのほとんどは「自分ではどうにもならないこと(つまり相手が決めること)」を「自分中心」で考えて,自分が勝手に「地獄」を見ているだけ,ということ。

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このような認識をもって「無愛想」な生き方をしていたら,一切の人間関係に関する悩みは消えさった。

忘れてはならないのは,「無愛想」がいつなんどきも有効ではないということで,状況によって使い分けをしなければならない。

さらにこの考え方の根底にあるのは,まずは「自分を愛すること」,次に「他人を愛すること」だ。それをもって自分を愛することができるようになったら,他人を愛そうとしてみよう。

しらいし