政治について。190713 #しらいし雑感

いよいよ参院選が近づいてきた。
 
わたしは自民、公明だけでなく、立憲民主、国民、維新、共産に知り合いの先生方がいる。が、いままさに忙しそうにしている。
 
みなのなかにも、街頭演説がうるさい、街中のワケわからん板に顔写真が張ってある、選挙関連の記事を目にした、ぐらいには感じているのではないだろうか。
 
同年代といえば、社会人になり初任給をうけとっただろうが、何故か「税金」というもので、額が低くなり、さらには「保険料」「年金」とワケわからん項目にそれなりの額が記入されているのをみただろう。
 
これまで政治の場をチラチラと見たきたわたしは、「市民と政治は、けっして遠くなく近い。切っても切れない関係だ。」と言わなければならない。その複雑さゆえに、嫌悪され、毛嫌いされている。ただそれだけだ。
 
高校の公民でならう、衆議院議員定数にかんする知識は世の中に出て必要だったろうか。日本における政治の教育は、わざと難しくして、政治に対する興味をなくさせるようにしているのでないか、と疑問をもつほど、どのように投票する候補者をえらぶのかなどという、本当に政治参加に必要な「リテラシー」をあたえず、政治に対する悲観を育成していると思わざるを得ない。
 
”だが、ひとこと言いたい。「教えられていない、知らない、不安になる、動かない。」というのは、クソダサいのでヤメよう。”
 
わずか3割の若者しか投票しない先進国はほかにない。それでいて、世の中になにかの疑問を持っていて、また不安になるひとがおおすぎる。そういうひとに限って「なぜわたしだけ」と考えていて、責任の所在を「世の中がわるい」というのだ。翻ってみれば、それこそ自己中心的で無意味だ。
 
「良くも悪くもそんな世の中を構成しているのはあなただ。」
 
ひとはひとの手をかりて生きている。そんな単純なことだが、再認識しなければなるまい。
 
政治はある種、ひとつのシステムに過ぎない。世の中のルールをきめるひとを選ぶだけ。その世の中に必然的にいるわれわれは、代表者がきめたルールに縛られる。その代表者を選ぶのが「選挙」というものだ。
 
投票しなかったからといって、ルールを無視していいわけでない。と、いうことは、投票しないということは、完全服従を意味する。いまの世の中、すべて順風満帆、これまで通りルールづくりに励んでくれたまえ。ということになる。
 
じゃあ、誰に投票すればいいのよ。という結論を急ごうとする読み手もいそうなので、いおう。
 
自分に近いひとに投票しよう。
 
違う。全候補の政策を見てみろ。ということではない。まず考慮すべきは、年齢と性別だ。
もしあなたが20代の女性なら、できるだけ若い女性候補に投票しよう。
 
ひとこと言えるのは「政治家なんてものはろくなもんはなろうとしない」
 
これはイギリスの最も著名な政治家であるチャーチルの言葉である。そもそも政治家を目指すのはは「目立ちたがり屋」か「小金持ち」だ、ともいっている。つまり、選挙は我慢が必要なものだ。ろくでもない者の中から、「まぁマシ」を選ぶものだ。
 
 
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まとめよう。
 
政治について「教えられてないから、知らない。」「知らないから、不安。」「不安だから、行動しない。」という無意味なループを「考え込む」を経て、抜け出そう。
 
ぜひ、投票しよう。何か良くなるかもしれない。
 
しらいし