人生における「死」の受け入れかたvol 2

 

前回「人生における『死』の受け入れかた」を書いたのは、2017年の11月でございました。それから早いもので3年弱が経っております。

今回、引き続いて「人生における『死』の受け入れかた」を書こうと思った理由は、さまざまございますが、ひとつには死をまざまざと感じさせられることがこのところ引き続き起こっていることにございます。

今回も、ぜひ、頼って欲しい。という願いを込めてこの文章を認めることに致します。

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さて、3年ほど前の記憶を遡りますと、あのときの私にも今と同じような、冷たい雨が降ってございました。
というのも、あのときは「離婚した夫妻が子どもの親権をいかに扱うのか」という非常に難しい課題に、傍観者ながらも真剣に、取り組んでおりました。彼らの弁護人を通じて相談を受けていたちょうどそのとき、その子が自殺したのございました。ひどく心に穴があくような経験であり、自分をひどく責め、落胆しておりました。そんな折に、心理カウンセラー(彼も相談窓口を請け負っておりました。)に「ひとがひとを生かすんだ」と助言をいただき、この経験を糧に、前回のブログを執筆いたしたのです。

その後にも、さまざまなお話を聞き及ぶことがございました。そのなかで一つを書き示しめせとおっしゃられるのでありましたら、ある難病から立ち直った中年の男性のお話を紹介しなければなりません。彼は長らく入院生活を続けてこられ、病気を闘っておりました。病室は個室を希望しておられたようですが、病院側の都合で数ヶ月ほど四人部屋に入っていたときがあったそうです。その病室には難病にかかった老人が二人と小学生の男児がいたそうです。ひとりの老人が月曜日に天に召され、その翌週にはもうひとりの老人が天に召されたそうです。その病室は、空になった2つベッドは丁寧に整備され、窓際に向かいあわせになったベッドに彼と小学生の男児だけが残ったそうです。間にはカーテンがあったようですが、小学生はご両親に夢を語っているのを聞いたそうです。医者になりたいのだとか。聞くところによるとその彼も彼と同じような病気で、骨髄移植(他人からのドナーが必要であり、骨髄の型が合致しなけらばならない。合致する割合は非常に低く、移植を待つ患者が多い)が必要でございました。その翌週、その男児は天に召されました。ご遺族は泣き崩れました。そんな折、中年の彼には骨髄ドナーが見つかり、その数ヶ月後の手術を経て、退院なさったのです。が、彼は「なぜ私なんかが助かったのか」と生かされる命に疑問と世の中の不条理から、自ら命を絶ったのでございました。

前回のブログにおいては、「生きることへの恐れ」の要因は「絶望感」「無力感」「孤独感」と表象致しました。いまの私は、これらをこの順序で紹介することは致しません。ここでは「孤独感」「絶望感」「無力感」と並び替えておくと致しましょう。

さて、社会学という学問は石を投げそれが当たるようなものを対象とした学問ではございません。つまり、人間と人間の間にある空間が対象となるのでございます。つまるところ、人間と人間の間の空間につきましては、その人間の数によって、それぞれが空間が起こり得ることになります。一人でいる場合、二人がいる場合、それ以上複数人がいる場合といった3つの場面が想像することができます。

少し振り返り、考え込んでみますと面白いことにハッとさせられるのです。一人でいる場合には「孤独感」、二人がいる場合には「絶望感」、それ以上複数人がいる場合には「無力感」を感じるのでございます。

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実はこの下に数千文字の文章を書いたところで、筆を置いてしまいました。さらに、その数千文字を読み返したところで、頓珍漢なことを書いているのではないかとの疑念を取り払うことができず、削除いたしました。

また、何かの機会に「人生における『死』の受け入れかた」をじっくりと考え、書き示してみようと思います。また3年後に。

しらいし