【雑感】防衛的悲観主義について
私は悲観主義者(ペシミスト)である。とくに人生全般において…
一般に人生は儚いであるとおもっているし、私の人生にとくに大きな意味などない、一般に人間は無力だとおもっていて、私はなにも果たせないとおもっている。
これまでの経験から、次の瞬間には私自身が消えて無くなっているかもしれない、とおもったこともある。私には消えて無くなるなにかを救えるだけの能力がないと、考えている。
こういうと、内向きで暗い性格かとおもわれるかもしれないが、そうではない。じつは(とくに不安をおおく抱えすぎるひとにとっては)この悲観はよい作用を生み出す。
悲観をもってものごとを考えると「予測」と「対策」ができるのだ。もっとも、重要なのは「対策」のほうであるが…
たとえば、あなたが何かを始めようとするとき、ワクワクして「やろうやろう!」とおもうだろうが、ここでミスがあるかもしれない、あのひとに騙されているかもしれない、と考えてしまうなら、たんなる「悲観主義者」だ。
さきに書いた「防衛的悲観主義者」はこの悲観をモチベーションにかえ、高いパフォーマンスをはじき出す。その背景には悲観による「予測」と「対策」がある。
失敗を予測しそれを乗り越えるだけの対策を打っておく。これだ。
「防衛的悲観主義者」は、あそこでミスがあるかもしれないから、起こらないよう対策をしておこう。あのひとに騙されるかもしれないから、対策を練っておこう。と考えこみ、対策を打つ。
これが良い悪いではなくこういう考えもある。
楽観主義(ものごとをポジティブに考える)が持てはやされるが、それって疲れませんか。それって嘘っぽくないですか。
しらいし