表現の自由について

表現の自由について議論されているので、ひとことだけ。

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が展示終了した。どういう企画展かといえば、過去に何らかの理由で展示ができなくなった作品を展示していた。どんな作品かというと、慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇のコラージュ写真をバーナーで燃やす映像など、だ。

3日、実行委員長の大村・愛知県知事が「安全な運営が困難になった」ということを理由に中止を決定した。

批判の意見は「芸術のいう名の反日だ」であり、擁護の意見は「表現の自由が権力によって制限された」というものだ。とまぁ、よくありそうなものだ。

いっぽ引いてみると、問題点は「表現の自由」ではなく「公金の使いかた」についてだとおもう。

この企画展は、愛知県知事を実行委員長としていることから明白なように、明らかに公金(税金)が使われている。(文化庁の助成事業である「あいちトリエンナーレ」の企画展だ。)

表現については、憲法で書かれているように自由だ。表現の自由は尊重されるべきであるとかんがえている。が、この場合(公金が使われている場合)には、「公共の福祉」の観点と、「納税者へのアカウンタビリティ(説明責任)」の観点を鑑みる必要がある。

しごく簡単に言えば、この企画展に税金をつかうのは正しいのかという点だ。税金をつかう基準は、国民の理解があるかどうかである。

そもそもこんかいの撤去措置は「表現の自由にたいする検閲」だというひともいるが、実際に開催しているのだから、「表現の自由」は尊重されているのだろう。この点において、もちろん悪いのは、ガソリンをもって火をつけると、脅したほうであり、政治的立場を超えて守らなければならない「表現の自由」についてあっさり脅しに屈した行政であり、脅しがあるだろうと予測できなかった実行委員会だ。


しらいし