Whataboutism(そっちこそどうなんだ主義)について  

日本語にはない表現で英語では表現される言葉がある。Whataboutism(What about + ism)もそのひとつだ。この言葉について英語話者と議論をしたことがある。

 

日本語で調べてみると「そっちこそどうなんだ主義」と呼ばれることが多いらしい。若干の意味の違いがありそうであるが、ひとまずそれで良しとしたい。

 

「そっちこそどうなんだ主義」はいわゆる、論点ずらしの手法である。もともとはソ連が西側諸国に向けて使った手法だ。その手法とは、「事実は◯である」とすると、「え?でも〜(全く他の話題)はどうなんだ?」と、一見、事実は◯ではないことを証明するように見せて、全く別の話題での問を立て反論をすることだ。

 

例えば、「日本のI T産業は伸びている」とすると「でも、農林水産業は後退しているじゃないか」とか「でも、政治家はバカが多い」、「全てマスコミが悪い」という。これは極端な例だが、このような「そっちこそどうなんだ」的な議論はそこかしこにある。この発言の目的はまさに「自分に不都合なことを隠し、相手に不都合なことを示すこと」である。そうしても都合が変わっていくことはない。

 

何事も全体を見通すと悪い点が目につくことが、きっとある。しかしそこばかりを議論すると明らかに停滞してくる。

 

あるジャーナリストから「ゴシップ記事をおう週刊誌の記者は不幸になる」と聞いたことがある。訳を聞くと「ひとの不幸ばかりを追っている彼らは、自分の生活でも不幸ばかりに神経がいってしまうから」とおっしゃっていた。

 

ひとは幸福を感じ取ることに懸命になると良いのかもしれない。